【The Story】vol.1 ウィリアム・モリス
マナトレーディングでは、30を超える数の海外ブランドを取り扱っております。
そのなかには世界的に有名なデザイナーや建築家が携わっていることをご存知でしょうか?
これから6回にわたり毎回1人の人物を取り上げ、ブランドにまつわるストーリーをご紹介してまいります。
東京・名古屋・大阪のショールームブログより
月に1話ずつの更新を予定しておりますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
第1回目の人物は、
日本でも有名な
「William Morris(ウィリアム・モリス)」です。
モリスは非常に豊かな才能の持ち主で、多才な顔を持っていました。
詩人、作家、画家、デザイナー、社会主義者など、多くの分野で才能とセンスを発揮し、
特にデザインの分野では「モダンデザインの父」「アーツ&クラフツの創設者」と称されています。
その魅力はとても一度では語りつくせないほど。今回はデザイナーとしてのモリスに注目し、
デザインに目覚めたきっかけからモリス商会を設立するまでのストーリーにスポットを当ててご紹介してまいります。
1834年、イギリスの裕福な家庭に生まれたモリスは、幼少期は自宅の広大な庭園と森で多くの時間を過ごしました。
そこで触れ合った自然の草花や鳥たちは、モリスのデザインの源流となりました。
19歳になったモリスは、聖職者を志してオックスフォード大学に入学します。
そこで生涯の友人となる、エドワード・バーン=ジョーンズと出会ったことが
モリスの運命を大きく変えるきっかけとなりました。
彼とゴシック建築の教会や中世の思想を学ぶうちに、美術や建築に目覚めたモリスは、彼とともに芸術を志すようになるのです。
そして彼とロンドンで共同生活を送りながら画家を目指していたとき、さらなる運命の出会いを果たします。
ラファエル前派(※1)の芸術家グループでモデルをしていた、ジェーン・バーデンとの出会いです。
彼女の美しくエキゾチック な雰囲気に一目惚れをしたモリスは、周囲の反対を押し切ってプロポーズします。
「麗しのイゾルデ」 モリスが描いたジェーンの油絵
25歳の時にモリスは彼女と結婚し、仲間たちとともに新居「レッドハウス」を建てました。
中世ゴシックを思わせる煉瓦造りの2階建てのこの家は、
親友の建築家フィリップ・ウェップが設計し、モリスたちはステンドグラス、壁紙、家具や内装、調度品を自分たちでデザインし、一から製作しました。
当時のイギリスは産業革命により、大量生産された粗悪品までが出回っていた時代。
モリスが理想とする、自然の美しさを職人の手で表現したインテリアはありませんでした。
1862年第2回ロンドン万国博覧会で出展品が受賞すると、その内装や調度品はたちまち評判を呼び、これを機にモリスは仲間たちとともにモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立。
本格的にデザインの道へと進んでいきます。
商会設立後、最初にデザインした壁紙が「トレリス」「デイジー」「フルーツ」です。
トレリス
レッドハウスの庭にあるバラの垣根を描いたもの。
モリスは意外にも鳥を描くのが得意ではなく、この鳥はウェップが描いています。
デイジー
平面的で規則的に配置された中世風のデザインは、写実的な装飾画が主流だった当時には新鮮でした。
ジェーンが刺繍した同じモチーフの布の壁掛けは、「レッドハウス」の寝室に飾られていました。
フルーツ
ザクロやレモンなど4種類の果実が描かれたもの。よく見ると地にも模様が描かれています。
2層のデザインはモリスの特長のひとつで、この後の作品に多く見られます。
3つの作品は、150年以上経った今も壁紙として現存しており、世界中で愛されています。
人の暮らしの中に美を目指したモリスでしたが、高価で時間のかかる天然染料やハンドプリントにこだわったことで、モリスのデザインは一部の富裕層にしか行き渡りませんでした。
今ではハンドプリントならではの風合いも機械で表現できるようになり、お求めやすい価格で販売されています。
モリスの遺した有名な言葉があります。
「
役に立たないものや、美しいとは思わないものを家の中に置いてはならない」
本当の意味での美とは何か、沢山のものであふれる現代において、何を大切にものを選ぶべきか考えさせられる一言です。
今回ご紹介したのはモリスの功績のほんの一部ですが、
モリスという人物やデザインに少しでも興味を持っていただけましたら嬉しく思います。
次回は東京ショールームブログより「ニナ・キャンベル」編をお送りします。
どうぞお楽しみに。
※1 ラファエロ前派
1848年にイギリスの画家ロセッティーやミレーなどが起こした芸術運動であり、そのグループの名称。
ルネサンス盛期のラファエロ以前の画家を理想として、自然に忠実な観察や輝かしい色彩の使用などを提唱した。