【The Story】vol.5 ジム・トンプソン(前編)
昨年9月より6回にわたり毎回ひとりの人物を取り上げ、ブランドにまつわるストーリーを
東京・大阪・名古屋のショールームブログよりリレー形式でお届けしています。
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【The Story】第5回目は、タイシルクの代名詞ともいえる
“Jim Thompson (ジム・トンプソン)”から、
William Morris (モリス)と並んでファブリックの歴史に名を残す偉人の人生と、
現在のブランドを支える二人の若きクリエイターたちのお話。
今回は前編、ジム・トンプソンその人をご紹介します。
◆JIM THOMPSON ジム・トンプソン
タイへ旅行に行かれた方なら、一度ならずとこのブランドの名前を耳にした事があるでしょう。
ジム・トンプソンの美しいシルクのネクタイやスカーフはタイ土産の定番ですし、
建築家でもあったトンプソンがバンコクに建てたジム・トンプソン・ハウス(現在はミュージアム)を、
ツアーの工程で訪れた方も多いのではないでしょうか。
ジム・トンプソン(本名:James Harrison Willson Thompson)は1906年アメリカの裕福な家庭で生まれました。
プリンストン大学にて建築を学んだのち、新進気鋭の建築家としてNYを拠点に活躍します。
トンプソンは当時より関心を持っていたバレエのステージデザインや衣装の仕事をきっかけに、
インテリアデザイン、ファッション、ショービジネス、アート、メディアの世界での人脈を増やしていきます。
そんな順風満帆に思えた矢先、第二次世界大戦が勃発。
トンプソンは志願兵として入隊。現在のCIAの前身であるOSSに所属しタイ潜入指令の任にあたります。
このタイの地がトンプソンの人生を大きく転換させる舞台となりました。
悠然と流れるチャオプラヤ河、うっそうと茂るジャングルの奥地に静かにそびえる古代の仏塔や寺院たち。
そして力強くも、繊細な彫刻が施される美しいクメール美術の数々。
トンプソンは一目でこの地に魅了されました。
終戦後、彼は建築家としてバンコクの老舗ホテル、
オリエンタルホテル(現:マンダリン・オリエンタル・バンコク)の再建に尽力します。
(トンプソンが商談で使用していたオリエンタルホテル内の「オーサーズ・ラウンジ」。
明るく開放的な空間にジム・トンプソン社の張地で仕立てたコロニアルスタイルのインテリアがよく映えます。)
この時出会ったのが、衰退の一途を辿っていたタイシルクでした。
20世紀初頭に入るとタイの人々の生活様式の変化や外国からの安い絹織物などの流入を受け、
トンプソンが訪れた当時、バンコクではわずか数軒の家族が絹織物生産を続けていたのみと言われています。
トンプソンのタイの伝統文化・美術への敬意が、クメールの女神を微笑ませたのか
このシルクと出会ってわずか5年で、彼はタイシルクの国際的な地位を確立していきます。
1947年。トンプソンは早速、この魔法のように美しいシルクの見本を抱えて、NYに舞い戻ります。
エメラルドグリーンとマゼンダ、ターコイズブルーとショッキングピンクなど、
エキゾチックで魅惑的な色の組合せは、トンプソンの狙い通りNYの人々を魅了していきました。
NYで築いた人脈を通してタイシルクの評判はたちまち広がり、
ファッションの権威でもあるヴォーグ誌の当時の編集長エドナ・ウルマン・チェイスの称賛を勝ち取ることとなります。
翌年、トンプソンは「タイシルク商会」を設立。
1951年にはまるで成功の道が用意されていたかのように、
シャム国(現:タイ王国)を舞台にしたブロードウェイミュージカル「王様と私」が初演を迎え、
衣装提供をしたタイシルク商会は、ミュージカルの大ヒットと共に一躍タイシルクの名を世界に広めました。
ジム・トンプソンがシルク王といわれる所以は、
タイシルクに着目し世界一流のブランドに登りつめたデザイナーとしてのセンス、
そして養蚕から紡績、織りの作業と伝統的な人の手による技と西洋の技術的革新を融合させ、
地域産業として復興させた実業家としての手腕によるところが大きいでしょう。
現在でもその手法は変わりません。
数千もの家族経営の農場の協力と、自然の中の広大な敷地で
農場・工場・デザインスタジオ・そして研究開発、全ての工程を自社で手掛けています。
その規模はなんと445ヘクタール以上!
ここまで一貫した生産を行っているのは、世界でもジム・トンプソン社だけと言われています。
それは徹底した品質管理、全てのプロセスに必要な専門知識を統合してこれまでに無いファブリックを開発すること、
そして、地元の農家の伝統的な生計手段、文化、尊厳を維持することを目的としているからです。
トンプソンは西洋のファッションやインテリアにも使いやすいコンテンポラリーなデザインや配色を心掛け、
色落ちしない工夫や最新のプリントを技術を導入することで、今までにないタイシルクを開発することに成功しました。
それと共にタイの伝統的絵画やクメール美術に残された優美な柄や色使いを積極的に取り入れています。
妥協なき美の追究とタイの人々と自然との共生は、彼の揺るぎなき信念といえましょう。
さて事業の拡大と共に日々多忙を極めるトンプソンでしたが、
休日の趣味はもっぱら古い寺院を散策することでした。
同様に古美術品の収集家でもあった彼は、自宅にも国宝級の美術品を飾っていたそうですが、
「タイの物はタイに」という思想から、収集したものは全てタイ政府に引き渡すよう遺言に残しています。
タイの芸術を心から楽しみ、敬愛していたことが伺えるエピソードですね。
そんなコレクションの中でも特にお気に入りの絵画がありました。
「Weaving Scene」
生地を織る工程を描いたこの絵は長い間、ジム・トンプソン社のシンボルデザインとして使われてきました。
ここに描かれているのは、まさにトンプソンの夢見た桃源郷そのもの。
かつて戦争の、破壊の最前線にいた彼は、伝統が守られていく事の難しさと尊さを、
その身をもって知っていたことでしょう。
トンプソンが中世のこの風景・文化が復興したことの喜びと、継承していかなければならない矜持をもって
この絵を眺めていたことは想像に難くありません。
さて、その後も映画「ベン・ハー」などハリウッドへの衣装提供や、
タイ王国への貢献を讃えた「白象勲章」の授与、インテリアファブリックへの進出等、
精力的に活動の場を広げていきます。
ところが、その活躍にある日突然ピリオドが打たれます。
1967年3月26日。
イースター休暇でマレーシアの高原へ友人たちと訪れていたトンプソンは、
ディナーまでの空き時間にふらっと散歩へ出かけ、そのまま消息を絶ったのです。
彼はなぜ、そしてどこへ消えてしまったのでしょう。
CIAとして活動していた経歴から政治的陰謀による誘拐説、先住民による捕縛説、
密林でトラに襲われた説、自作自演説・・・等
密林に消えたミステリーとして、消息を絶った当時、莫大な懸賞金と共にさまざまな憶測が瞬く間に世界中に広まりました。
なんてドラマチックでミステリアスな人生!
この物語に魅了されたひとりに小説家松本清張がいます。
彼はトンプソンが失踪したキャメロンハイランドを舞台に、
トンプソンをモデルにしたアメリカ人実業家の失踪劇と日本で起きた殺人事件を
巧妙に絡めた推理小説「熱い絹」を執筆しました。
主人公と共に事件の真相を追いながら、トンプソンが過ごした当時のタイ、マレーシアに広がる
密林や発展途上の街の風景と、失踪における清張の推論を伺い知ることが出来ます。
興味のある方はぜひこちらも読んでみては。
まるでアンリ・ルソーの「夢」のように、
密林に潜む更なる美しい「何か」に導かれるかのように姿を消したジム・トンプソンは、
今でもその美を追い続けているのかもしれませんね。
さてそれから45年―。
2012年ジム・トンプソン社は新しく発売する壁紙コレクションの第1作目としてこちらのデザインを発表しました。
「Jim’s Dream」
トンプソンが愛した「Weaving Scean」のモチーフを再構成し、
年月を重ねた壁画調のデザインが現代のモダンなインテリアにも馴染む上品で美しい作品のひとつ。
これは、ブランドが若きクリエイターたちによってトンプソンの意思が引継がれ、
新しい段階に突入したことを物語っていると言えます。
トンプソンなき現在、彼が築き上げたタイシルク商会は現在2人のデザイナーが
クリエイティブディレクターとしてその手腕を振るっています。
次回はこのふたりについてご紹介していきましょう。
【The Story】vol.1 ウィリアム・モリス
【The Story】vol.2 ニナ・キャンベル
【The Story】vol.3 マシュー・ウィリアムソン
【The Story】vol.4 パオラ・ナヴォーネ(前編)
【The Story】vol.4 パオラ・ナヴォーネ(後編)